国税庁「令和6年分民間給与実態統計調査」によると、2024年に1年を通じて勤務した給与所得者の平均給与は478万円である。正社員(正職員)に限ると545万円、男女別では男性587万円、女性333万円となっている。
厚生労働省「令和7年賃金構造基本統計調査」では、企業規模別の賃金について、男女計で大企業385.1千円、中企業326.2千円、小企業305.6千円とされている。男性では大企業428.0千円、小企業329.6千円、女性では大企業310.8千円、小企業264.0千円であり、企業規模による賃金差はなお明確に存在する。
さらに、帝国データバンクが2024年度決算期の上場企業を対象に行った調査では、上場企業の平均年間給与は671万1,000円、東証プライム上場企業では763万3,000円である。民間給与所得者平均478万円、正社員平均545万円と並べて見ると、大企業・上場企業に勤める総合職社員は、すでに民間全体の平均を相当程度上回る環境にいることが分かる。
それでも、20代後半から30代の大企業総合職が、コンサルティング会社、SaaS、ITサービス、人材、広告、DX支援などの営業職求人を見ると、心が動くことがある。求人票には「年収800万〜1,200万円」「インセンティブ込みで1,500万円超」「若手でも成果次第で高収入」といった言葉が並ぶ。大企業の年功的な昇給カーブに不満を持つ若手・中堅が、その数字に魅力を感じるのは自然である。
しかし、ここで立ち止まる必要がある。厚生労働省「令和6年雇用動向調査」によると、2024年の転職入職者のうち、前職より賃金が「増加」した割合は40.5%である。一方で「減少」は29.4%、「変わらない」は28.4%である。転職すれば必ず年収が上がるわけではない。転職者の約3割は賃金が下がっている。
つまり、高収入の案件営業への転職は、成功すれば報酬・経験・市場価値を同時に伸ばせる可能性がある一方で、失敗すれば年収、職歴、家庭生活を同時に傷める可能性がある。年収の数字だけを見て判断するには、あまりにリスクが大きい。
本レポートでいう「案件営業」とは、単に商品を売る営業ではない。コンサルティング、SaaS、ITサービス、DX支援、人材、広告、業務改革支援など、顧客の課題を発掘し、提案を組み、社内外の専門家を動かし、一定金額以上の案件を受注する営業を指す。
結論を先に述べる。
大企業総合職から高収入の案件営業へ移ることは、悪い選択ではない。しかし、「自分なら案件を取れる」という感覚だけで動いてよい転職ではない。誰に、何を、どう売るのか。固定給はいくらか。変動給はどの程度か。家庭の負荷は増えるのか。失敗したとき、次にどこへ着地できるのか。そこまで見てから判断すべきである。
大企業総合職は、給与明細に出ない資産を持っている
大企業総合職に不満を持つ人は多い。配属は選べない。意思決定は遅い。上司次第で仕事の質が変わる。若手のうちは裁量も限られる。年功色のある評価制度に苛立つこともあるだろう。
それでも、大企業総合職には、給与明細に出ない資産がある。
第一に、会社の看板による信用である。大企業の名刺があれば、顧客との最初の面談が取りやすい。「御社からのご連絡なので」という理由で会ってもらえることがある。この環境にいると、それが自分個人の力だと錯覚しやすい。しかし、転職して会社名が変わった瞬間、同じ相手が同じように会ってくれるとは限らない。
第二に、育成環境である。大企業では、OJT、社内研修、外部研修、異動による経験形成など、本人が意識しないところで多くの教育投資を受けている。即戦力採用の案件営業へ移れば、この猶予は小さくなる。
第三に、住宅手当、家族手当、福利厚生、退職金制度、リモート勤務、フレックスタイム、社内異動の余地である。これらは年収欄には十分に反映されないが、生活の安定に大きく効いている。
特に子育て世代にとって、リモート勤務や勤務時間の安定は、単なる働き方の好みではない。育児、家事、配偶者の仕事、保育園対応、急な発熱対応に直結する生活インフラである。
大企業を出るということは、単に今の給与を捨てることではない。見えない安全装置を手放すことでもある。
「コンサル会社に入る」と「コンサル営業になる」は違う
この転職で最も危ない誤解は、「コンサル会社に入る」という言葉で仕事を美化してしまうことだ。
コンサルティング会社の営業職に移る場合、あなたはコンサルタントとして案件を遂行するのではない。多くの場合、案件を作る側に回る。つまり、顧客に会い、課題を探し、提案機会を作り、社内のコンサルタントや専門家を巻き込み、競合に勝って受注する役割である。
これは、会社名の印象とは別の仕事である。コンサル会社の名刺を持てば、自然に経営層と戦略的な会話ができるわけではない。顧客が会ってくれる理由を作らなければならない。課題を聞き出さなければならない。提案に値するテーマに育てなければならない。そして最終的には、数字で評価される。
SaaS営業やITサービス営業でも同じである。「営業」と一口に言っても、インサイドセールス、フィールドセールス、エンタープライズ営業、カスタマーサクセス、プリセールス、既存深耕、新規開拓では、必要な能力が違う。
求人票に「営業」「ソリューション営業」「アカウント営業」と書いてあるだけで判断してはいけない。見るべきなのは、実際に自分が何を任されるのかである。
高収入求人の言葉を額面通りに読んではいけない
高収入の案件営業の求人には、魅力的な言葉が並ぶ。ただし、その言葉は採用側の視点から書かれている。読者は、その裏側にある条件を確認しなければならない。
| 求人語 | 注意すべき読み方 |
|---|---|
| 高年収 | 固定給なのか、変動給込みなのかを確認する必要がある。上限年収は、最高成績者だけの数字である場合がある。 |
| 裁量がある | 自由に動けるという意味である一方、支援が少なく、結果責任だけが重い場合もある。 |
| 若手が活躍 | 若手にも機会があるという意味だが、若手でも早期に数字責任を負う可能性がある。 |
| 経営層に提案できる | 経営層に会えることと、経営層から受注できることは別である。 |
| 成果主義 | 成果を出せば報われるが、成果が出ない人には厳しい環境である可能性がある。 |
「年収800万〜1,200万円」と書いてあっても、最初から800万円が保証されるとは限らない。固定給は現在の年収より低く、インセンティブを達成して初めて高年収になる設計かもしれない。
確認すべきことは、少なくとも次の五つである。
- 固定給はいくらか
- 変動給・インセンティブの比率はどの程度か
- 目標達成率100%を超えている社員は何割いるのか
- 未達が続いた場合、評価や処遇はどうなるのか
- 入社後半年から一年で、何を成果として求められるのか
高収入という言葉に反応する前に、その年収がどの条件で成立するのかを確認しなければならない。
「自分なら案件を取れる」は、まだ根拠ではない
高収入の案件営業への転職を考える人の多くは、「自分ならできる」と考える。しかし、それはまだ根拠ではない。
本当に案件を取れると言うなら、次の問いに答える必要がある。
- 最初の半年で、どの業界を狙うのか
- どの会社の、どの部署の、どの役職者に会うのか
- その相手は、なぜあなたに会うのか
- 何を切り口に商談化するのか
- 顧客は、なぜ競合ではなく自社を選ぶのか
- 社内の誰を巻き込んで提案を作るのか
- 半年後に、何件の商談、何件の提案、何件の受注を想定するのか
これに答えられない場合、それは案件を取れる実力ではなく、案件を取れそうだという期待である。
大企業時代に顧客訪問をしていた人は多い。しかし、「顧客に会っていた」ことと「顧客に売っていた」ことは違う。「顧客に売っていた」ことと「新規顧客を自力で開拓していた」ことも違う。
高収入の案件営業では、この差が入社後に一気に表面化する。
子どもがいる人の転職は、自分一人の賭けではない
独身であれば、多少の無謀な転職も本人の学習コストで済む。しかし、幼い子どもがいる場合、話は違う。
高収入の案件営業へ移ると、リモート勤務や柔軟勤務が減るかもしれない。通勤時間が増えるかもしれない。夜の商談や会食が増えるかもしれない。月末や四半期末に追い込みが入り、休日対応が増えるかもしれない。数字のプレッシャーで精神的な余裕が減るかもしれない。
その結果、育児や家事の負担が配偶者に偏る可能性がある。
年収が上がるからよい、という話ではない。税金、社会保険料、住宅手当の消失、通勤時間、延長保育、ベビーシッター費用、配偶者の就業への影響まで含めて、家庭全体の損益を見なければならない。
「相談した」と「配偶者が納得している」は違う。転職後に何が変わるのかを具体的に説明し、負担増加を正直に話したうえで合意しているか。ここを曖昧にした転職は、職業上のリスクだけでなく、家庭上のリスクにもなる。
移ってよい人、移ってはいけない人
| 観点 | 移ってよい人 | 移ってはいけない人 |
|---|---|---|
| 営業適性 | 新規開拓や無形商材営業の経験があり、断られても次の仮説に進める人 | 既存顧客対応が中心で、新規開拓の経験が薄い人 |
| 数字責任 | 数字で評価される環境に抵抗がなく、未達の理由を自分で分析できる人 | 数字責任を負うと精神的に追い詰められやすい人 |
| 顧客理解 | 顧客の利害、社内政治、意思決定構造を読める人 | 相手の言葉を素直に信じやすく、「検討します」を可能性ありと受け取りやすい人 |
| 家庭状況 | 配偶者と負担増加について具体的に話し合えている人 | 「稼ぐから大丈夫」で家庭の負荷を軽く見ている人 |
| 撤退戦略 | 失敗した場合の次の着地先を考えている人 | 入ってから考えればよいと思っている人 |
この表で「移ってはいけない人」に多く当てはまるなら、いまは橋を渡る時期ではない。現在の会社で専門性を作る、社内異動を狙う、営業以外の転職先を探すなど、別の選択肢を考えるべきである。
高収入の案件営業は、成功すれば大きい。しかし、誰にでも開かれた安全な上昇ルートではない。大企業の看板から離れ、自分で顧客に会う理由を作り、案件を作り、数字を背負う仕事である。
転職は自己イメージで判断するものではない。損益計算で判断するものだ。
感情で動くな。勘定で動け。
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フル版では、大企業総合職を捨てることの意味、高収入の案件営業の求人語の裏読み、新規開拓営業と既存深耕営業の違い、子育て世代が見るべき家庭負荷、失敗しても次につながる実績の残し方、撤退戦略、そして大企業総合職と高収入の案件営業の比較表まで、より詳しく整理しています。
特に、「コンサル会社に入ること」と「コンサル営業として案件を取ること」の違いを深く確認したい方には、フル版をおすすめします。
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引用元・参考資料
- 国税庁「令和6年分 民間給与実態統計調査」
https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan/gaiyou/2024.htm - 国税庁「令和6年分 民間給与実態統計調査結果の概要」PDF
https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan2024/pdf/R06_001.pdf - 厚生労働省「令和7年 賃金構造基本統計調査 結果の概況」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2025/index.html - 厚生労働省「令和7年 賃金構造基本統計調査 結果の概況」PDF
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2025/dl/14.pdf - 厚生労働省「令和6年 雇用動向調査結果の概要」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/doukou/25-2/index.html - 帝国データバンク「上場企業の『平均年間給与』動向調査(2024年度決算)」
https://www.tdb.co.jp/report/economic/20250715-increase24fy/ - Startup Frontier「2026年版 SaaS企業の年収相場と注目企業ランキング」
https://professional-studio.co.jp/media/archives/951